読書感想:西内啓(2013)『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社

同書には、些細な事実誤認と思われる個所がいくつかある。そのなかのいくつかを以下に記す。いずれも同書の主旨には関係なく、重箱の隅を突くような指摘である。

 

■p.002 ウェルズの予言

「「1903年、H.G.ウェルズは将来、統計学的思考が読み書きと同じようによき社会人として必須の能力になる日が来ると予言した」」(p.002)

H.G.ウェルズ本人は引用されているような文章を書き残していない。Tankard(1979)を参照のこと。ただし、Tankard(1979)の主張の一部を、Tee(1979)は否定している。

 

■p.045 1937年の失業センサスに関する記述

「わざわざカードを入手して…」(p.045)

このときの自己申告による全数調査では、「カード」は各世帯に配布されている。Hansen(1987, p.183)を参照のこと。

 

■p.045 1937年の失業センサスに関する記述

「…全人口の0.5%(すなわちおよそ60~70万人)…」(p.045) 

 このときのサンプルリングサンプリング調査の抽出単位は個人ではなく、郵便配達のルートである。200万人名以上の個人が抽出されている。Hansen(1989)を参照のこと。また、Dedrick and Hansen(1938, p.1)には、より具体的に、509,989世帯で2,011,412名が調査対象と述べられている。

2016年8月1日 追記: そもそも「0.5%」という数値が間違えている。Dedrick and Hansen(1938, p.1)によると、91,596本の郵便配達ルートから約2%を無作為抽出し、509,989世帯の2,011,412名(米国全人口の約1.5%)を調べている。

 

■p.101 ランダム化実験の起源

「フィッシャーがほとんど独力で作り上げたこのランダム化比較実験…」(p.101)

R.A.Fisherが提案する以前にも、何人かの研究者がランダム化比較実験を提案している。たとえば、McCall(1923, pp.41-42)でランダム化比較実験が述べられている。また、Stigler(1986, p.253)によると、Peirce and Jastrow(1885)でランダム化比較実験が行われている。

 

■p.102-106 Fisherの紅茶実験

R.A. Fisherの紅茶実験が「1920年代末のイギリス」で行われたときに「H・フェアフィールド・スミス」がその場に同席していた、と述べられている。しかし、この時間と登場人物だと辻褄が合わない。なぜなら、Fisher-Box(1978, p.276)によると、Fairfield SmithがR.A. Fisherに初めて出会ったのは1935年だからである。Fisher(1935a)以前にR.A. FisherとFairfield Smithが会っていたかどうかさえも微妙である。

 さらに、Fairfield SmithはFisher-Box(1978)でもインタビューを受けているのだが、Fisher-Box(1978)に「1920年代末のイギリス」での逸話は記載されていない。後述するように、Fisher-Box(1978)には別の語り部による別の逸話が記載されている。

 同書におけるこの記述は、Salsberg(2001)の翻訳本である竹内・熊谷訳(2006)に記載されている逸話の模写であろうが、竹内・熊谷訳(2006)の訳者あとがきでは、逸話は疑わしいと述べている論文が紹介されている。

 ちなみに、紅茶実験にはこれ以外にも以下の2つの説がある。

  • Muriel Bristol説: Fisher-Box(1978, p.134)では、土壌藻類の研究者であったMuriel Bristolが紅茶実験のモデルだったと述べられている。この逸話の語り部は、のちにMuriel Bristolと結婚するWilliam Roachという化学研究者である。
  • 単なる空想説: Kendall(1963, p.5)には、Fisher自身は紅茶実験を一度もやったことがないとFisher本人から聞いた、という逸話が書かれている。

 岩沢(2014, pp.214-129)には、これら3つの説が並記されている。

 

■pp.106-107 Fairfield Smithの所属

「… H・フェアフィールドスミス(彼もまたコネチカット大やペンジルベニア大で教鞭をとった統計学者である)」(pp.106-107)

Salsberg(2001, p.2)によると、「ペンジルベニア大学」で教鞭をとっていたのはDavid Salsburg本人である。Salsberg(2001, p.2)には、Fairfield Smithがペンシルベニア大で教鞭をとっていたとは書いていない。

 

■p.106 王立化学協会のプレスリリース

王立化学協会から出された紅茶のプレスリリースは、George Orwellの生誕100周年に合わせて出されたお遊びである。単なるジョークであり、化学的・科学的・統計学的なエビデンスはまったくないだろう。Ono(2016)を参照のこと。

 

■p.107 ペテンを見破ることができる?

「ミルクティに限らず、この考え方を応用すれば、[超能力者の] たいがいのペテンは見破ることが可能であるとわかってもらえるだろうか。」(p.107)

実際、R.A. Fisherは、Society for Psychic Research(超能力研究協会)の研究にアドバイスをしていた(Fisher-Box, 1978:p.237)。1935年11月8日における協会宛ての手紙(Fisher, 1935b)を読む限り、実験計画と数理統計の観点から超能力実験に対してアドバイスをするだけ、という立場だったようである。

また、少なくともFisher(1935a)では、ある単一のランダム化実験の結果をもとに真偽を決定するという考え方に反対している。「[ランダム化試験と統計的検定によって]たいがいのペテンは見破ることが可能である」というような発想は、R. A. Fisherの対極にあると私は考える。

 

■p.301 “To Err is Human”

「”To Err is Human”という言葉は聖書からの引用であり」(p.301)

インターネット上の辞書(dictonary.com, 2016)からの情報なので私も間違っている可能性は非常に高いが、”To Err is Human”という文章は Alexander Popeの“An Essay on Criticism”から広まったようである。Googleで少し検索した限りでは、聖書からの引用ではないようである。

 

■[参考文献]

Dedrick, C. L. and Hansen, M. H. (1938)

Final Report on Total and Partial Unemployment: Volume IV. The Enumerative Check Census

United States Government Printing Office

 

Dictionary.com “Err is human

http://www.dictionary.com/browse/to-err-is-human--to-forgive-divine

最終アクセス日: 2016年7月31日

 

Fisher, R. A.(1935a)

Design of Experiments

(再出版: "Statiscal Methods, Experimental Deign and Scientific Inference" Oxford Science Publications)

 

Fisher, R. A. (1935b)

Correspondence to Mr. Salter

https://digital.library.adelaide.edu.au/dspace/bitstream/2440/68023/1/1935-11-08.pdf

最終アクセス日: 2016年7月31日

 

Fisher-Box (1978)

R.A. Fisher: The Life of a Scientist

Wiley

 

Hansen, M. H. (1987)

Some History and Reminiscences of Survey Sampling

Statistical Science, 2(2), pp.180-190

 

Hansen, M. H. (1989)

Discussion

Proceedings of the Survey Research Methods Section, ASA, pp. 161-163

 

Peirce, C.S. and Jastrow, J. (1885)

On Small Difference of Sensation

Memoirs of the National Academy of Sciences for 1884 3, pp.75-83

 

Kendall, M. G. (1963)

Ronald Aylmer Fisher: 1890-1962

Biometrika, 50 (1-2), pp.1-15

 

McCall, W. A. (1926)

How to Experiment in Education

The Macmillan Company

 

Ono, Y. (2016)

Letters: Milking the Joke

Significance, 13(1), p.47

                                                              

Salsburg, D. S. (2001)

The Lady Tasting Tea: How Statistics Revolutionized Science in the Twentieth Century

Holt (竹内惠行・熊谷悦生訳 (2006) 『統計学を拓いた異才たち』日本経済新聞出版社

 

Stigler, S. M. (1986)

The History of Statistics: The Measurement of Uncertainty before 1900

The Belknap Press of Harvard University Press

 

Tankard, J. W. (1979)

The H. G. Wells Quote on Statistics: A Question of Accuracy

Historia Mathematica, 6(1), pp.30-33

 

Tee, G. J. (1979)

  1. G. Wells and Statistics

Historia Mathematica, 6(4), pp.447-448

 

岩沢宏和(2014)

世界を変えた確率と統計のからくり134話

SBクリエイティブ

 

■[修正履歴]

2016年8月1日 抽出確率について追記
2016年8月2日 私がブログ記事タイトルにて書名を間違えていた
([誤] 『統計学は最強の学問である』 [正]『統計学が最強の学問である』)

2016年8月3日 [誤] ブログタイトル [正] 記事タイトル

2016年8月21日 [誤] サンプルリング [正] サンプリング