Fisherの紅茶実験は実話なのか?

R.A. Fisherの紅茶実験に対する3つの説について

このブログ記事では,Fisher(1935a)の第2章で登場する紅茶実験が実話かどうかについて述べます.

Fisher(1935a)の紅茶実験は,"Lady Tasting Tea"という名称でも知られており,英語の Wikipediaでも項目が立っています(2020年7月24日現在).

en.wikipedia.org

 岩沢(2014, pp.214-218)によると,この紅茶実験が実話かどうかについて,次の3つの説があります.

  1. 1920年代末のケンブリッジでの実話であり,Fairfield Smithが同席していた.
  2. 1919年〜1923年の Rothamsted農業試験場で,Fisher(1935a)での紅茶実験の原型となるだろう出来事があった,この時の被験者は,藻類学者の B. Muriel Bristol(結婚後は,B. Muriel Bristol-Roach)である .
  3. 仮想の話である.

以下のブログ記事でも少し触れたのですが,本記事ではもう少し詳しく述べたいと思います.

読書感想:西内啓(2013)『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社 - Tarotanのブログ

岩沢(2014, pp.217-218)では,次のように述べられています.

本項に登場した人物たちが(多少の脚色はあっても,大きな勘違いや記憶違いもなく)すべて正直に語っているとすれば,どういうことだろう.その場合,「有名な実験」と似たようなできごとは何度かあったということだ. 

 本記事での私の主張は,以下の通りです.

  • 1番目の説で述べられている出来事は,信憑性がない.少なくとも1935年以前には,1番目の説で述べられている出来事は生じていない.
  • Fisher(1935a)の内容から考えると,3番目の説が整合性が取れている.
  • Fisher(1935a)の紅茶実験の例は,Neymanを批判したエアリプであろう.

 

1番目の説:Fairfield Smith同席説

まず,1番目の説は信憑性がないと思います.

1番目の説は,Salsburgの "The Lady Tasting Tea: How Statistics Revolutionized Science in the Twentieth Century" の冒頭(Salsburg 2001: pp.1-8,2010 訳書単行本:pp.21-31)で述べられています.Salsburg(2001: p.2,訳書単行本:p.23)では,この話を H. Fairfield Smith(本名 Hugh Smith )から聞いたとしています.

この1番目の説は,3つのなかでは一番,有名な説でしょう.同書は日本語訳書(竹内・熊谷訳 2006, 単行本:2010)がありますし,西内(2013: pp. 102-107)でも取り上げられているので,3つのなかではこの1番目の説を知っている人が最も多いでしょう.

しかし,次の3つの理由により,1935年以前に,つまり,Fisher(1935a)が書かれた以前に,1番目の説で述べられている出来事が生じた可能性はとても低いです.

第1に,1935年以前の R.A. Fisherは,1919年〜1933年までは Rothamsted農業試験場で,1933年からはUniversity Colledge, Londonで働いていました.Cambridge大学に移ったのは,1943年です.1913年以前の学生時代も Cambridge大学でしたが,1920年代〜1935年の間は,R.A. Fisherは Cambridgeには住んでいません.以上の R.A. Fisherの経歴については,芝村(2004, pp.21-23)でまとめられています.

第2に,Fisher-Box(1978, p.276)によると,H. Fairfield Smithが(R.A. Fisherのもとで統計学を学ぶために,学生として)R.A. Fisherと初めて会ったのは,1935年です.1920年末には,H. Fairfield Smithは,R.A.Fisherと面識がありません.

つまり,Cambridgeという場所も,1920年代末という時期も,おかしいのです.

第3に,Fisher-Box(1978)の序における謝辞を読む限り,Fisher-Box(1978)において H. Fairfield Smithは Fisher-Boxに情報を提供しています.しかし,Fisher-Box(1978)には,1番目の説のような紅茶実験の話は一切,出てこず,後述する2番目の説しか登場しません.もし1番目の説が本当ならば,H. Fairfield Smithは,Fisher-Boxには逸話を内緒にしていてSalsburgだけに打ち明けたことになりますが,その動機が思いつきません.

以下は,私の妄想です.H. Fairfield Smithは,2番目の説をFisher-Box(1978)で知っていたのだと思います.もしそうならば,H. Fairfield Smithは,2番目の説の話を,Salsburgに話しただけなのだと思います*1.その際,場所や時間は,H. Fairfield Smithもしくは Salsburgのいずれかが(もしくは両者が)記憶違いしたのだろうと私は思います.以上,私の妄想でした.

 

かなり弱い証拠ですが,1番目の説の信憑性がないことの間接的な証拠もあります.紅茶実験の話だけが信用できない訳ではなく,Salsburg(2001)で述べられている逸話の多くが,信憑性がないのです.Salsburg(2001)の訳書(竹内・熊谷訳 2006)の訳者あとがきには,次のように述べられています(単行本版 p.450).

ただ本書を統計学史の書として位置づけた場合、二つの問題がある。一つは著者が学史の研究者でないこともあってか、事実関係の検証に若干不十分な部分があるため、原書には誤った記述が少なからず残っていることである。たとえばオーストラリアのアデレード大学名誉教授のルードブルック氏が指摘している(Ludbrook, J., "R.A. Fisher's Life and Death in Australia, 1959-1962," American Statistician, Vol59, No.2, pp.164-165, 2005.)ように、第1章の紅茶の逸話は、フィッシャーの娘による伝記によると、フィッシャーのケンブリッジ大学時代の出来事ではなく、一九二〇年代のロザムステッド試験場時代の出来事である。

Salsberg(2001)における事実誤認を指摘した書評には,上記の訳者あと書きで述べられているLudbrook(2005)のほかにも,Porter(2001),Cox(2001)があります.Porter(2001: p.469)では,Alan Sokal事件を挙げながら「それらの誤りはあまりにも酷く,基本的なものなので、名声のある出版社のレビュー能力を試すために、著者[Salsburg]がわざと誤りを残しておいたのではないかと想像してしまいそうになる」(p.469. 拙訳)と酷評しています.

Salsberg(2001)で述べられている多くの逸話は信憑性はないが,この紅茶実験の逸話だけは信用できると思える理由は,特にないです*2

  

2番目の説:B. Muriel Bristol博士説

2番目の説は,Fisher-Box(1978, p.134)で述べられています.

Fisher-Box(1978, p.134)で,次のような逸話が紹介されています(以下はパラフレーズです).R.A. Fisherが,1919年に Rothamsted農業試験場に就職してからしばらくした時のことです.アフタヌーンティーの休憩にて,R.A. Fisherが紅茶を B. Muriel Bristolのカップに注ごうとしたところ,ミルクを先に入れてから紅茶を入れてほしい,として止められました.R. A. Fisherはナンセンスな話だとして笑ったところ,その場にいたWilliam Roachが,彼女を試してみようと提案し,実験が行われました.以上は,Fisher-Box(1978, p.134)で述べられている逸話をパラフレーズしたものです.

B. Muriel Bristolは,1927年もしくは1928年までRothamsted農業試験場の"Mycological Laboratory"という部門で勤務していた藻類学者(博士*3)です.Bristol(1919),Bristol(1920),Bristol-Roach(1926)といった論文のタイトルを見る限り,土の中でも育つ藻類を研究していたようです.

この2番目の説の語り部は,William Roachという人物です.William Roachは,1923年にB. Muriel Bristolと結婚します(Senn 2012, p.30, p.33).William Roachは,Rothamsted農業試験場の"Laboratory for Antiseptics, Insecticides, etc.-"という部門で働いており,学歴は修士(M. Sc.)でした.ちなみに,R.A. Fisherの学歴も,少なくとも1920年頃当時は修士(M.A.)です.

B. Muriel Bristol(B. Muriel Bristol-Roach)は,1950年に亡くなっています(Senn 2012, p.30).R.A. Fisherは,1962年になくなっています(芝村 2004, p.23).Fisher-Box(1978)が書かれた1970年代には,3人のうちWilliam Roachしか残っていませんでした.

Fisher-Box(1978, p.134)によると,B. Muriel BristolとWilliam Roachが結婚する前に,この出来事は起きたようです.よって,R.A. Fisherが就職した1919年以降で,結婚するまでの1923年までで,この出来事は起きただろうと推測できます.

Bristol-Roachは一般人や貴婦人なのか?

B. Muriel Bristol(B. Muriel Bristol-Roach)は,"a lady"と呼ばれるような人物だったのでしょうか? 私はそう思いません.

私は,次の点を強調したいと思います.B. Muriel Bristol(B. Muriel Bristol-Roach)は,"a lady"などの一般名詞の存在で扱われるような人ではなく,ある程度の学術的な業績をもち,固有名詞が指示されるような研究者であったという点です.3つほど証拠を挙げたいと思います.

第1に,Bristol(Bristol-Raoch)は,1925年に出版された統計学のハウツー本であるFisher(1925)に,固有名詞で挙げられています.Fisher(1925, p.123)において,同ページで扱われている藻に関するデータは,"Dr. M. Bristol-Roach"のデータであると述べられています.また,巻末の文献リストには,Bristol-Roachの論文が挙げられています*4

第2に,Bristol(Bristol-Roach)は,論文をいくつも出しています.少しネット検索しただけでも,Bristol(1917), Bristol(1919),Bristol(1920),Bristol-Roach(1926)といった論文を出しています*5

第3に,1926年のオーストラリアの新聞でも,「彼女[Dr. Muriel Bristol Roach]は,キャリアを積んでいる結婚後の女性の一例である」(The Argus 1926)のように紹介されています.ここでも,一般名詞ではなく,固有名詞で登場しています.

Bristol(Bristol-Roach)は,固有名詞で指示されるような研究者でした.しかし,途中から研究者のキャリアから外れたようです.Rothamstead農業試験場の報告書(Rothamsted Experimental Station 1929)を読む限り,1927年〜1928年の間で夫のWilliam Roachとともに,Bristol-Roachは,Rothamstead農業試験場を退職しています.William Roachは,"Biochemist"として"East Malling Research Station"というところに勤める予定となっていますが,Bristol-Roachの転職先は空白になっています.ここからは私の妄想ですが,おそらく,Bristol-Roachは,Rothamstead農業試験場を退職後に,専業主婦となったのではないでしょうか.おそらく,William Roachの転職に伴い,引越ししないといけなくなり,Bristol-Roachは転職先が見つからなかったのではないでしょうか.藻類学者は,大学や研究所以外で職を探すのは難しそうです.この1928年以降,Bristol-Roachの論文は途絶えます.以上,私の妄想でした.

ladyは,Bristol-Roachなのか?

Fisher-Box(1978, p.134)では,おそらくは1919年〜1923年の間で起きた出来事が,Fisher(1935a)の第2章における実験計画の原型のひとつになったのだろうと予想しています.しかし,次の3つの理由により,Fisher(1935a)における"a lady"がBristol(Bristol-Roach)であるとは,私は思いません.

まず第1に,前節で述べたように,Bristol(Bristol-Roach)は固有名詞で呼ばれるべき研究者であり,名前がない一般女性ではないですし,ましてや,上流階級の貴婦人ではないので,"a lady"という呼称は相応しくないでしょう.

第2に,1934年6月11日付けで,R.A. FisherはWilliam Roachに手紙を書いており,(Bristol-Roachの論文をWilliam Roachが送付したお礼だと思いますが)“… and many thanks for your wife’s papers, which I am sure will be useful.”というようにBristol-Roachに言及しています.しかし,紅茶実験については一切,述べていません(Fisher 1934).Box-Fisher(1978)でも,R.A. Fisherから"a lady"はBristol-Roachのことだよと聞いた,とは William Roachは述べていません.もし,R.A. Fisherが"a lady"に Bristol-Roachをイメージしていたのであれば,William Roachにはそのように伝えていたと私は思います.

第3に,時間が空きすぎです.2番目の説の紅茶実験が行われたのが1919年〜1923年で,Fisher(1935a)から12年〜16年になります.そんなに時間が空いているのに,"a lady"をBristolもしくはBristol-RoachをイメージしてR.A. Fisherが書いたとは思えません.ミルク先/ミルク後論争は,昔から行われていた論争であり,1935年あたりでも新聞などでたびたび取り上げられていました.新聞などの記事ではなく,1919年〜1923年の出来事を思い出して書いたとは私は思えません.

 

3番目の説:仮想説

3番目の説は,仮想例であった,というものです.この説が一番,もっともらしいと私は思います.

岩沢(2014, pp.217)で指摘されているように,Kendall(1963, p.5)にて「[Fisherに尋ねたところ]Fisherはそのような実験を行ったことはないと言った」(p.5)と書かれています.Fisher自身が言っていたことなので,この話が最も信憑性が高いと私は思います.

以下,私の妄想です.岩沢(2014, pp.217)も指摘するように,2番目の説のような出来事が実際に行われていたのでしょう.しかし,R.A. Fisherは1935年の執筆時には,その出来事を忘れていたか,覚えていたとしても,その出来事をもとに書いたのではないのでしょう.以上,私の妄想でした.

また,Newman Neyman(タイポ修正: 2023/12/31)(1960, p.1458)の解説においても,下記のようにFisher(1935a)で出てくる"a lady"を,"hypothetical lady"と述べています(赤字は,筆者による).

The second chapter of the latter book is entitled “The Principles of Experimentation, Illustrated by a Psycho-Physical Experiment.” It concerns a lady who says that when a cup of tea is made with milk she is able to tell whether the tea or milk was first added to the cup. The surpassing nicety of taste displayed by this hypothetical lady provides Sir Ronald with the excuse for a most remarkable series of experiments.

なお,R.A. Fisherが亡くなったのは1962年です(例えば,芝村 2004, p.23)ので,この書籍が出版された1960年にはまだ存命でした*6

 

Fisher(1935a)の第2章には何が書かれているか?

西内(2013,p.101)では,「[...]ランダム化比較実験がどれだけ強力か、本節で説明するその最も大きな理由は、「人間の制御しうる何物についても、その因果関係を分析できるから」である。」と述べられており,その後,竹内・熊谷訳(2006)で述べられている出来事(1番目の説)がパラフレーズされています.西内(2013)だけを読むと,ランダム化比較実験が最強の方法だと R.A. Fisherが述べているように思えてしまします.しかし,少なくともFisher(1935a)の第2章で述べられているものは,逆の主張であると私は思います.

Fisher(1935a, pp.15-16)では,次のようなことが書かれています(以下は引用ではなく,パラフレーズしたものです).有意性検定にて5%などを基準にすると便利ではあるが,p値が100万分の1であっても,その現象は(帰無仮説が正しくても)100万分の1で生じるのだから,独立した1つの実験だけでは,実験的例証(experimental demonstration)を示すには不十分である.だから,ほぼいつも実験結果が有意になる実験手順を知っている時に限って,その現象は実験的に例証可能であると言うべきである.以上,Fisher(1935a, pp.15-16)のパラフレーズです.つまり,Fisher(1935a)において,<ある1つの実験が有意になったのであれば,該当する現象が実験により例証できたとされるのだ>とR.A. Fisherは主張していません.<何回,実験を行ったとしても,毎回,有意な結果をほぼ常に出せる場合にのみ,実験により例証できると言える>と,R.A. Fisherは主張しているのです.

Fisher(1935a)における以上の主張を,私は重視します.そして,Fisher(1935a)の紅茶実験は,ランダム化比較実験の最強さ(無敵さ,無双さ)を示すための仮想例ではない,と私は思います.むしろ逆に,紅茶実験の例は,ランダム化比較実験の弱さ(貧弱さ)を示すための例であると,私は思います.より詳しく述べると,<ある1つの実験の有意性検定で有意になったからといって,常識的に考えて,我々の紅茶論争は終わらないでしょ.科学での議論も,紅茶論争と同じですよ>ということを伝えるための例になっている,と私は思います.

 

Fisher(1935a)第2章に見られるNeyman批判

書き方が直接的ではないので分かりづらいのですが,Fisher(1935a)の第2章は,Neyman(とE. Pearson)を批判していると思われます.Fisher(1935a)でのNeymanに対する批判は,端的に述べると,<帰無仮説と対立仮説が少数のパラメーターで表現できるような問題は,統計的検定の問題ではなく,推定の問題である>というものです.

 

第1版(Fisher 1935a, p.20)には,次のような記述があります.

The "error," so called, of accepting the null hypothesis "when it is false," is thus always ill-defined both in magnitude and frequency. 

 この「帰無仮説が間違えている時に,帰無仮説を採択する「誤り」」は,「第2種の誤り」と呼ばれているもので,Neyman and Pearson(1933)において登場する概念です.ぼんやりとしかわかりませんが,Neyman(とE. Pearson)を批判しているように読めます.

第3版(1942)もしくは第4版(1947)になると,Neyman(とE. Pearson)に対する批判はより明確になります.上記の引用部分は,次のように改訂されています(以下,遠藤・鍋谷訳 1971 ,p.15より引用).

統計的 "推定" を伴う場合には,仮説として可能な系列を同時に考慮するように,これらの概念を拡張することができる.その場合,帰無仮説が”誤っている”ときに,それを採択することによって生じるいわゆる”第2種”の誤りの概念には,推定すべき量に関連してその意味が与えられる.利用できる事がらは帰無仮説が正しいときに生じるものだけであるような,単純な有意性検定については,第2種の誤りの概念は意味を持たない.[...]

初版よりは 少し分かりやすくなって,Neyman(とE. Pearson)を批判していることがより明確になりましたが,まだ意味が分かりづらいです*7

1930年代中期において,Neyman(とE. Pearson)の何をR.A. Fisherが批判していたかについては,Fisher(1933)の説明が分かりやすいです.Fisher(1933, p.296)には次のように述べられています.

it is surprising that Neyman and Pearson should lay it down as a preliminary consideration that “the testing of statistical hypotheses cannot be treated as a problem in estimation.” When tests are considered only in relation to sets of  hypotheses specified by one or more variable parameters, the efficacy of the tests can be treated directly as the problem of estimation of these parameters. 

 

より端的に表現しているのは,Demingの論文についてE. B. Wilsonに向けて書いた1935年5月20日付けの手紙です(Fisher 1935b).次のように書かれています.

His Deming’simpression as shown on page 5, that what he calls the u test is somehow more fundamental than Student’s t test seems to rest on a confusion between problems of estimation & tests of significance - confusion which has been, I am afraid, accentuated by the discussions of Neyman and Pearson on the subject. 

以上のように,R.A. Fisherは,推定の問題,つまり,点推定や信頼区間(R. A. Fisherの用語では fiducial limits)と,統計的検定(R. A. Fisherの用語では test of significance)を異なる問題として区別していました.そして,対立仮説が想定でき,かつ,帰無仮説と対立仮説が少数のパラメーターで表現できるような問題は,統計的検定の問題ではなく,推定の問題だとみなすべき,と主張していました.

Fisher(1935a)の第2章における紅茶実験の例は,帰無仮説や対立仮説が少数のパラメーターでは表現できません.感度(Neymanの用語における検出力)を上げるためには,条件(茶葉の種類,ミルクの種類,砂糖を入れるかどうかなど)を同じにした方がいいだろうものの,8つのカップにおけるミルクティーは,(ミルク先/ミルク後以外の条件が)まったく同じにはなりません.被験者のコンディションも,飲むたびに刻々と変化するものでしょう.そのため,たとえば,1杯目のカップを当てる確率が0.8であったとしても,2杯目のカップを当てる確率は0.5かもしれません.

推定の問題では扱えないような例として,R.A. Fisherは紅茶実験の例を挙げたのだろうと,私は思います.Fisher(1935a)の第2章における例は,<表が出る確率が0.8である偏ったコインを10回投げたらどうなるか?>といった対立仮説が想像できるものでは,まずかったのです.統計的検定の問題としてしか扱えない例を,Fisher(1935a)の第2章で,R.A. Fisherは提示したかったのでしょう.

Neymanの名前は挙げられていないものの,Fisher(1935a)の第2章,特に提示されている紅茶実験の例は,Neymanに対する批判となっています.その意味で,Fisher(1935a)の第2章は,現代風に言えば,エアリプの悪口だったのだろうと私は思います.

Fisher(1935a)ではNeymanの名前は挙げられていないのですが,おそらくNeyman本人は,自分の枠組みに対する批判だと敏感に感じ取ったのだと思います.Neyman(1950)において,実験方法をFisher(1935a)のものとは大幅に変えて,"a lady"*8がミルク先/ミルク後を識別できるかどうかを決定する手順を提示しました.Fisher(1935a)の実験方法では,8杯のミルクティーのうち4杯はミルク先,4杯はミルク後にして,被験者に一度に提示するといったものでした.Neyman(1950, p.272)では,各試行に十分に間隔をあけて(たとえば,ある程度の日数を開けた朝食において),条件を同じにしたミルク先/ミルク後のペアを提示し,どちらがミルク先で,どちらがミルク後かを当ててもらう,という実験方法に変えています.このように変更すれば,問題は,偏ったコインの問題(二項分布のパラメーターを検定するという問題)になります.Neymanは,敏感に R.A. Fisherのエアリプ批判を感じ取って,このような反論を行ったのでしょう.

 

ゴジップ 

最後にゴシップを書いておきます.

1933年の K. Pearsonの引退に伴い,UCLDepartment of Applied Statistics and Eugenicsは,E. PearsonをトップとするDepartment of Statisticsと,R. A. FisherをトップとするDepartment of Eugenicsに分割されました(The UCL Inquiry into the History of Eugenics 2020, p.23).Neymanは,Department of Statisticsで働いていました.R. A. FisherK. Pearsonには激しい論争があり,R. A. FisherE. Pearsonにも論争があったのですが,この1933年ぐらい以降からR. A. FisherNeyman(とE. Pearson)を批判するようになります.紙面上の学術的な論争に止まらず,Fisher-Box1978)やReid1982)を読む限り,UCL学内での雰囲気もかなり悪かったようです.

最後に,これはまったく根拠がなく,非常に浅はかな考えのですが,なぜ,紅茶論争というイギリスの象徴的な論争を R.A. Fisherが統計的検定に対して取り上げたのか,どうしても抜けない考えが私にはあります.Neyman は,生まれは当時ロシア領であったBessarabiaのBenderyであり,ポーランド系の移民でした(Reid 1982, p.5).

 

まとめ

  • H. Fairfiels Smithが述べたとされる,<紅茶実験は 1920年末のケンブリッジで行われた>という説は,信憑性がありません.
  • R. A. Fisherは,自分の主張を補強するための仮想的な例として,紅茶実験の例を思いついたのでしょう.
  • 紅茶実験の例は,Neymanに対するエアリプ批判だったのでしょう.

 

参考文献

英語文献(および翻訳書)

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(Trove URL:p14 - 27 Aug 1926 - The Argus (Melbourne, Vic. : 1848 - 1957) - Trove 最終閲覧日 2020-7-25)

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日本語文献

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芝村良(2004)『R.A. フィッシャーの統計理論:推測統計学の形成とその社会的背景』九州大学出版会

西内啓(2013)『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社

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日本統計学会(2017)日本統計学会会報,No.172,2017.7.31

 

お断り

この記事で書かれている内容の全責任は,著者個人だけにあります.所属組織は,いかなる責任も負いません.

 

修正履歴

2020/7/25 19:00頃:文献リストからの文献の抜け(Kendall 1963)を修正

 

*1:Fisher-Box(1978)での2番目の説を隠して,Salsburg には独自の話である1番目の説を話したという可能性もなきにしもあらずですが,そのような手の込んだことをする理由もないでしょう

*2:余談ですが,Salsburg(2001)の訳書(竹内・熊谷訳 2006)や西内(2013)は,名声がある,きちんとした本です.竹内・熊谷訳(2006)は,2006年に日本統計学会75周年記念推奨図書の一冊となっています(日本統計学会 2006, p.6).また,Salsburg(2001)の逸話をパラフレーズしている西内(2013)は,2017年に日本統計学会出版賞を受賞しています(日本統計学会 2017, p.10).

*3:Bristol(1920)では肩書きが"M. Sc."であるものの,1919-1920年におけるRothamsted農業試験場報告書では"D. Sc."となっています.Rothamstead農業試験場に勤務しているときに博士になったものと思われます.

*4:ただし,年・巻号・ページ数が実際に発表されたものと異なります.論文名も少し異なります.実際に発表されたものはBristol-Roach(1926)だと思われます.Fisher(1925)は1925年に出版されているので,公表予定の論文を参照したのだと思われます.

*5:余談ですが,Bristol(1917)の同じ号の1つ前の論文は,日本初の女性博士である保井コノの論文になっています.

*6:余談ですが,このNewman(1960)では,Fisher(1935a)年の第2章を,タイトルを変えて掲載しています.Fisher(1935a)の第2章の章名は「実験の原理,精神物理的実験による説明」(遠藤・鍋谷訳 1971)というものですが,Newman(1960)では「紅茶を嗜む婦人の数学」("Mathematics for a Lady Tasting Tea")という名前に変更しています.現在,Fisher(1935a)の実験は"A Lady Tasting Tea"という名称でも呼ばれていますが,それは,このNewman(1960)の影響でしょう.

*7:なお,第7版(1960)で追加された12.1節では,さらに明確にNeymanを批判しています.

*8:正確には,Neyman(1950)では,"a lady"ではなく,"A Lady"や"the Lady"のように"L"が大文字になっています.Fisher(1935a,p.13)の原文では,先頭にて"A LADY declares ..."となっており,"Lady"なのか"lady"なのかが分からなくなっています.